モツゴ

先ほど、我が家の近所の水路や小川で簡単に捕まえる事が出来る淡水魚として、タモロコを紹介したので、タモロコと並ぶ我家の界隈の雑魚2大巨匠と言えるモツゴの投稿もしてみようと思う。

モツゴとの初めての出会いは、小学生低学年時代を過ごした千葉時代、当時の千葉市役所の近くにあった大部分がコンクリートと芝で作られた人工的な公園内の人工的な池においてであった。もはや公園の名前は、パッと思い出せない。(今は、もうその公園は無いと、友達から聞いた気もする。)

その公園内の池は、大部分がコンクリートの完全護岸で整備されていたが、子供達は、学校から帰宅すると、自転車に2人乗りして、その公園にバケツと駄菓子屋で100円で購入したであろう網を持ち集まったものだった。そして、今回の投稿の主役であるクチボソ(正式名称モツゴ)を捕まえるのであったが、捕まえ方としては、池の中に食パンを投げ入れると、やがて、食パンを突く無数の魚の群れが出来る。そこを一網打尽に網で掬うと、クチボソが何匹か網に入っているという算段だった。口の小さなクチボソを釣る大変さや不効率さに飽き飽きした子供達が、帰り際に投げ棄てた餌の食パンに群がるクチボソの大群を目撃したところから生まれた漁法だった。だが、ゆくゆくは、大きな鯉に気付かれ、食パンもメタメタに突かれ、網では届かない沖へと一瞬で行ってしまう落ちがあったが……

これは、同じように直ぐに行けて、少し自然感のある人工の池であった千葉公園の池でも、楽しむ事ができたクチボソを捕まえる方法であった。その池での予想外の敵は、今度は公園の池に常住している白い白鳥のような大きな鳥であった。

この子供時代に身近に釣ったり、捕まえたり出来る代表的な淡水魚が、鮒や鯉ではなくクチボソ(モツゴ)であった。

しかし、小学校の6年の夏に引っ越した先の北九州の地で、クチボソとの出会いはパタリと無くなることになった。私が住んだ地域が、背後に比較的大きな山が控え、湧水源から海岸まで、どの河川も5キロも無いのではといった地域だったので、川はある程度の流れがあり、止水は少なかった。それでも、山の中腹には、大小様々な貯水池が有り、また自転車で少し遠出した地区には、新田として開発された地区が有ったり、古来からの農民の自給自足の水田維持の為に、これまた小さな溜池や野池が沢山存在する地域が無くもなかった。しかし、どの止水環境で小物釣りをしても、クチボソはおろか、他の在来の魚は顔を見る事が無かった。釣れてくるのは、ブルーギルとブラックバス。この2種にあまり捕食されないのか、底物のヨシノボリ、稀に鮒が時々釣れるだけだった。この地に引っ越す前の関東の千葉では、ブラックバスは県内では東金の雄蛇ヶ池にしかおらず、ブルーギルに関しては、静岡の一碧湖にしか居ないと信じ込まされていた子供であった私は、関東から遠く離れた九州の地に、既にブラックバスやブルーギルが、大小問わずどの池や沼でも、我が物顔で繁殖していた事実にびっくりしたしたのを覚えている。この時点では、未だ、北九州の河川にはブラックバスやブルーギルは進出はしていなかったが……

さてさて、クチボソ(モツゴ)の事を、引越し先の友達らに聞いても、実際のところ、モロコとモツゴの区別もついていないのが現状で、殆どその地域の溜池の生態系(ブラックバスやブルーギルが入ってくる前)の事が掴めなかったのだが、高校生になったある日、釣りを少しこだわりを持って趣味にしているラグビー部の友達(私はサッカー部)に、同じようにクチボソの話を振ってみると、クチボソ(モツゴ)が釣れる溜池を知っているというではないか。しかも、モロコでは無く、モツゴであると断言してくる。私は、休日に、その友達が住む農村地帯に電車(一区間)とバスを乗り継ぎ、彼の案内の元、その溜池で、2人で釣りをしに出かけることになった。小川の横に水田が少し広がる地区であったが、彼の後に着いて行くと、小さな山裾の杉林の中を登る未舗装の道を登り始めた。こんなところに、クチボソが釣れる場所が有るのかなと思い、一緒に登ると、小高い場所は急に開けて、凄い小さな農業用の溜池が現れた。そして、2人で釣り始めたのだが、まだ、証拠写真となる写メ等の文化のない時期だったので、釣れてくるまでは、半信半疑だったが、紛れもなく、小さな受け口で背中側がメタリックに青っぽく光る所謂クチボソが、ちゃんと釣れてきたのだった。その溜池は、着くまでは、絶対にそこに、小さな池があるとは分からないような場所であった。勿論、地図にも載るか載らないか程の小さな溜池であった。

この小さな農業用の溜池に生息していたモツゴが、古くからその溜池に生息していたのか、それとも近現代において、意図的であれ、そうでなかれ、その溜池に持ち込まれたものなのかは、分からないが、ただ一つ言えたのは、当時、ブラックバスやブルーギルの無秩序な放流を奇跡的に免れたであろう野池では、こうした在来の小魚が繁殖するチャンスを得る事が出来たのは確かなのだと思う。当時の北九州の私が暮らした辺りの野池・溜池・貯水池は、ブラックバスとブルーギルが、各池で毎年優占種をシーソーの如く競い合い、釣魚の98パーセントを占める形で、この2種と共存出来てた魚がヨシノボリで、他に釣れたり見かける魚といったら、稀に鮒ぐらいだったのを覚えている。元来棲息していなかった可能性もあるが、モツゴやモロコやオイカワやタナゴと言った普通に棲息していても良さそうな魚種を全く捕まえる事が出来なかった。突然の外来2種の急襲に、在来の雑魚魚達が対抗策を遺伝的に学習する前に、駆逐一掃されてしまった可能性も、当時の私の頭にはよぎっていた。

前置きが凄く長くなったが、この小さい子供の時に慣れ親しんだモツゴという魚が、現在の我が家の周りの水系には沢山居る。

ただ厳密には、このモツゴも関東以北の地域では移入種であり、本来は、シナイモツゴという似た別種が棲息していたらしい。モツゴとシナイモツゴは、容易に交配してしまうのと、モツゴの方が、繁殖に関して、タフな強い能力を進化させていたことから、シナイモツゴを駆逐して行き、現在、関東ではシナモツゴは絶滅したみたいな認識になっている。

ただ、この長い投稿の中でも触れたように、人目に付かず人々から忘れ去られた沼や池が何処かに有る可能性は、ゼロでは無い。人間の傲慢さは、思う以上に視野を狭めることにもなる。きっと、何処かで脈々とシナイモツゴの血筋が保たれている場所が有るのではと、私は信じている。

最後に、近所で去年の初夏に捕まえ写真に撮っていたモツゴの写真が有ったので、そちらをアップロードして、この投稿を締めくくることにする。

タモロコ

お正月休みに、近所の里山を流れる水路で、子供達と網を片手にガサガサをして遊んだ時に、この魚も結構採れた。

日頃から、近所の小川や水路では、一年を通して、モツゴやオイカワと共に、簡単に捕まえる事が出来る魚であり、一般的にモロコの名で知られている魚である。

そして、モロコの仲間には数種類が居るが、この関東近県含め我家のある茨城県南部で普通に目にされるこのモロコは、タモロコという種類だと思う。水系水系、少し離れた水路水路によって、ズングリしてたり細身だったり、文様等の外見的印象が違うように感じる時が有るが、我が家の周りで見かけるモロコは、全部タモロコという種類なんだと思う。

古来元々は、琵琶湖周辺が起源の魚であり、関東には、琵琶湖産稚鮎の日本全国各地への移入と共に、稚魚が混じって、拡散して行ったようである。私のブログで紹介済みだが、ツチフキなんかも、似た運命を経験した魚である。

モロコと混じって一緒によく捕まる魚にモツゴ(関東での俗称 クチボソ)が居るが、2種の棲み分けとして、モツゴの方が緩やかな流れや止水を好んで、モロコの方が、流れのある環境を好むという事がよく言われている。ただ水量が多く流れも速い水路や河川でも、水際に水流を弱める障害物となる植物等が生えていれば、モツゴも生息しているし、逆に、止水である霞ヶ浦本湖では、大きく育ったタモロコが、ガンガン釣れてきたりもする。

ここで、こういう状況にはモツゴは居なくて、タモロコばかりという環境を、個人的に思い出してみると、水深が5センチぐらいの水路の枯れ草や障害物に潜んでいるのは、タモロコばかりで、モツゴは超浅い流れには居ない気がする。モツゴの方は、ある程度深み(水深40センチ以上とか)が有ったり、点在するする場所で見かける気がするのは、私だけであろうか。

さてさて、このタモロコに結構似た本モロコという魚は、昔から、とても美味なる魚の評判は聞いている。今回の投稿の主役であるこの近縁種のタモロコも、手に取った感じのイメージからは、同じように美味しい部類の魚なのではとの予感はする。今のところ、まだ意識して食した記憶が無いので、今度大型(10センチ近い)のものが、集中的に採れた時には、丁寧に料理して味わってみようかなとも考えている。

最後に、丁度2年前の今時分の時期に近所の水路で捕まえて写真に収めていたタモロコの写を見つけたので、そちらを投稿して、この今回のタモロコの投稿を締めくくることにする。

オイカワ

正月休みに、近所の里山の小川で、子供達と網を片手にガサガサをした時に、この魚達も何匹か入ってきた。

真ん中のメタリック調の体表に黄色味がかった尾ビレの魚達が、この投稿の主役のオイカワだが、霞ヶ浦本湖や利根川本流に繋がる水系で、私の住んでいる辺りでは、普通に見られる魚である。暖かな陽気の中、川沿いの土手路を散歩している(滅多にそんな優雅な時間は持てないが…)と、派手目の色彩に彩られたオイカワの雄が、ユラユラと川の流れに身を任せている姿なんかに遭遇したりする。…………今度は、綺麗な婚姻色の出てそうな時期に捕まえたオイカワの雄の写真も、アップしてみたく思う。

ちなみに、オイカワと生態や形状が比較的似た魚に、カワムツやヌマムツという魚も居るのだが、私が暮らす茨城県南部だと、私の家より遥かに筑波山が大きく見える辺りの水系では、カワムツ(ヌマムツ)が主役になっている水系も存在する。中には、オイカワとカワムツが混棲しているのではと思えるような水場もある。

さてさて、このオイカワは、日本全国何処にでも棲息しているのではないであろうか?そして、名前の方も、地方によって様々で、関東では、オイカワという正式名称以外にヤマベという名でよく知られている。九州や中国地方では、ハエと呼ばれていた。私が中高生活を送った北部九州では、やはりハエ(昆虫のハエとは明らかに発音の仕方が違い、“ハ”にアクセントがあるのは同じなのだが、”エ”は、低音で小さく発音する)と呼ばれていて、数釣りの大会が行われていたりした。また、子供の頃、たまに遊びに行った長野の親戚の家の辺りでは、ジンケンと呼ばれていた気がする。この長野のオイカワを釣っていた場所は、結構な標高のある志賀高原に点在する池だったが、誰かが放したものが繁殖しているにせよ、随分寒さにも強い適応力のある魚なのが伺える。それらの志賀高原の池より、何百メートルも下った温泉街を流れる川では、渓流魚であるヤマメや時にイワナが釣れてくるのだから、面白い。

最後に、このオイカワの思い出としては、個人的には、高校を卒業したけど、何のために大学に行くのか、何のために勉強しているのか、全然実感が湧かず、晴れ渡らない不安な気分の中、自宅で浪人生活を送る中、気晴らしに時々、お気に入りの短めの釣竿を片手に近所の川に徒歩や自転車で出掛けることがあった。出掛けるキッカケは、雷の音だった。遠くで雷鳴が聞こえ始めると、勉強を止め、そそくさと準備を済ませ、冷蔵庫に入っているウインナーを一本だけポケットに入れて、雷がなっていた方角の川に出掛けるのであった。釣り場に着く頃には、雷も雨も収まり、適度に濁った川で、ポケットに入れてきたウインナーをちぎって餌にして釣りを始めるのであった。濁った川からは、警戒心が無くなったオイカワが、いとも容易く釣れて来るのであった。大概は、釣りも後半になった頃には、川の濁りも取れて来て、魚信も遠のき始め、納竿のキッカケとなるのであった。

そんな将来や自分の能力に漠然とした不安を感じて過ごしていた日々に、一時的にでも心の中をスッキリ晴れ渡してくれたのが、オイカワの綺麗な婚姻色との出会い触れ合いだったのを、今、しみじみと思い出して来た。同じ川では、時に、日本バラタナゴ(大陸バラタナゴでは無かった気がする)やナマズ等も連れて来たが、やはり一番、心を癒してリラックスさせて(束の間の多幸感を)くれていたのはオイカワだった気がする。