ヤマノイモコガ? 成虫 Acrolepiopsis suzukiella (Matsumura, 1931)

数日前に、我家の外灯下に来ていた蛾の一つである。

大きさは、体長で5ミリぐらいだったであろうか。

小さい割に、比較的写真がしっかり撮れたこともあり、種名には辿り着けたような気がする。

外見の特徴的には、アトヒゲコガ科のヤマノイモコガではないかと思った。似ている種に、ネギコガという種もいたが、いずれにせよ、アトヒゲコガ科の3属あるうちのAcrolepiopsis 属(Gaedike, 1970)に属する蛾であることは間違いなさそうである。

幼虫は、ヤマノイモ科の植物を食べるようである。

生息分布の方は、国内は、本州、九州、四国、対馬。海外の生息分布の方は、ちょっと分からなかった。

ハマオモトヨトウ 成虫 Brithys crini crini (Fabricius, 1775)

本日、我家の庭で、樹木に止まっている蛾を発見。薄めの色の幹肌に、黒っぽい体色は、とても目立っていた。

大きさは、前翅長20ミリぐらい。

調べたところ、ハマオモトヨトウという種ではないかなと思った。

ハマオモトヨトウという蛾は、何処でも誰でも見れる訳ではないのか、私が蛾の情報を参照する他の方々のサイトでも、紹介されていないケースが多いと感じた。

名前に、ハマオモトと付くが、漢字で書くと、浜万年青。所謂、ハマユウ(浜木綿)のことである。この温暖な海岸地域に自生するヒガンバナ科の植物を好むことから、ハマオモトヨトウの名が付けられたものと思われるが、この蛾の幼虫は、ハマオモトだけでなく、ヒガンバナ科の植物ならある程度何でも食べれるようである。

この蛾の生息範囲だが、学名の登録年が古いことから、ヨーロッパを中心として、世界各地に広がっていそうな予感がして調べたところ、確かに世界の広範囲に拡がってはいたが、少し興味深い拡がりのようにも見て取れた。先ずは、ヨーロッパに関しては、地中海沿岸の南部に集中しており、アフリカ大陸は最南端の南アフリカの辺りやマダガスカル諸島に集中しており、オーストラリアの東岸の沿岸部にも拡がりが見えた。これだけだと、人間の人為的移動と共に近年拡がって行ったとも推測したくなるが、オーストラリアの北岸やインド南部や台湾や中国南東部沿岸部を経て日本の西部に達している。この辺の拡がりは、大きく潮流の影響で、ホストであるハマユウ等の拡がりと同調しているようにも感じたくなる。

ちなみに、ハマユウCrinum asiaticumの世界分布とハマオモトヨトウの分布域は、かなり被っているのは確認したが、植物のハマユウの方は、南太平洋の島々や、中央アメリカの国々にも拡がっているが、ハマオモトヨトウという蛾の方は、まだ、そちら方面には、拡がっていないようである。

いずれにせよ、ハマオモトもハマオモトヨトウも、温暖な気候を好む生物のようなので、今回の投稿の主役であるハマオモトヨトウも、昨今の温暖化の影響で、少しづつ北上中の蛾なのかもしれない。

一応、各都道府県が独自に定めるレッドデータでは、神奈川が絶滅危惧種に、兵庫県が注目種(情報不足)に指定している蛾である。

マハぜ Acanthogobius flavimanus
(Temminck et Schlegel, 1845)

最近、魚釣りを少し気持ちを入れて再開した事もあり、手頃な釣魚であるハゼ(マハゼ)の投稿をしてみようと思う。ちなみに、英名は、Yellowfin gobby である。

生息分布の方は、国内は南西諸島を除くほぼ全域。お隣の韓国にも普通にいるようである。世界的に、他の地域でも、例えば、アメリカ合衆国のカリフォルニア州沿岸部やオーストラリア東岸や、他にも幾つかの湾岸都市で確認されているが、これらの地の広がりは、大型船のバラストに混じって移動した個体達が新天地で拡がり始めたと推測したい。

上の写真の個体で、サイズは20センチを少し超えるぐらいだと思う。

最近、涸沼川で釣った。天ぷらで美味しく食べれる食材を求めて、ズバリ、沙魚(ハゼ)が釣りたくての釣行だったが、釣れてくるのは、クロダイの幼魚ばかり。

クロダイの幼魚の引きは、走りはしないが小気味が良い鋭い連打から始まる。この日は、この引きが飽きない程度にやって来たが、一回だけ違う当たりがあった。大きく鈍く重く揺さぶられるような引きである。セイゴのような一気に竿を絞り込むようなアタリではなかったが、20センチ台のセイゴでも釣れてくるんだろうと予想していたが、水面に現れた魚体を見て、待望のハゼだと分かった。

同時に、そのハゼがとても大きく感じられて、サイズ的に、ちょっと感動してしまった。食味的には、もう少し小さい方が、味がボケなくって良いかなと冷静に魚体を眺めてはいた。

実際に、帰宅後に採寸したら、20センチを少し上まる程度の大きさだったが、自分の中での関東のハゼの印象からしたら、デカイの来たなといった感じである。

ここで、幼少期からの自分のハゼ(マハゼ)絡みのの思い出を書いてみようと思う。

元々、サーフでの投げ釣りを趣味の一つにしていた別居の祖父に教えられたのか、私の父も、投げ釣りにハマっていた。そして、自分も、小2ぐらいの時には、2,4メートルのグラス竿を与えられて、父の釣りに同行し始めた。登竜門的に釣れて来られたのが、千葉市の花見川で、この地で、魚のアタリが糸を伝って竿を握る手元まで伝わって来る感覚を覚えさせられた。魚影が濃く頻繁にアタリを感じられる近場のハゼ釣りが、入門には、うってつけとの父の思惑があったかどうかは分からない。

その後は、堤防からの子供のチョイ投げで、掛かって来る魚のひとつがハゼになったが、小学生の高学年になると、子供達同士で、自転車に乗り、千葉港の埋立地の先まで、時々ハゼを狙いに出かけ始めた。当時、ゴカイと言われるブニョブニョした餌を買って、上州屋で揃えた道具で釣り始めるのだが、サイズは大きくはないが、簡単に十分なぐらい釣れた。外道は、通称ワタリガニぐらいであった。

その後、千葉を離れ、九州北部の地に住むことになったが、この地では、魅力的な魚種が豊富で、ハゼ釣りという文化は、マイナーというかアンダーグラウンドだった気がする。釣りの超ビギナーが、普段魚釣りをしない奥さんや子供を連れて、小河川の河口で秋に賑わう姿を、ローカルな釣り雑誌が時々取り上げてるぐらいの印象である。

小ネタとしては、小河川の上にある踏切の上げ下げを手動でする国鉄職員が、職務中に足元の小河川でハゼを釣りながら職務をしていたことがバレて、新聞で叩かれていたのを覚えている。肉体労働系の国鉄職員が、勤務の最後に施設内の入浴施設で入浴している事も叩かれ始めた頃に、国鉄はJRへと組織が変わった。お友達には、この国鉄やJRの職員の家が、現業から管理職まで、幅広く沢山いた。

そんな時代に、我家が、決まって、ハゼ釣りに出かける時期と場所があった。

手軽にシロギスが釣れなくなる晩秋以降、じっと辛抱のカレイの投げ釣りをという選択肢も当然あるが、自分は歩いてサビいて魚を探す派だったので、この冬のカレイ釣りが性に合わなかった。そんな冬場に、大型のハゼが貯まる場所を偶然に見つけてしまった我が家は、それ以降、お正月は、午後になるとその場所に向かうことが毎年の行事となった。4、5年は続いたと思う。

その場所というのは、山口県下関市の彦島という一見、島に見えないエリアにある南風泊(ハエドマリ)港の最奥である。島といっても、短い陸橋が何本もあった気がする。高校の遠足では、歩いて、この島まで行った記憶がある。

そして、この場所は、大型ハゼの入れ食いであった。真冬の寒い時期に、20センチ前後のハゼが幾らでも釣れた。自分が釣ったハゼの最大サイズの23センチちょっともここで釣った。(未だに探せば、魚拓が出てくると思う。)

休日に行くから閑散としてて、誰も作業していなかったし、港の最奥でハゼ釣りなんかしてる人達なんか我家ぐらいしかいなかった。この南風泊港というのは、当時から知っていたが、フグの水揚げ量が日本一の港であった気がする。そして、休日に港は休みだが、韓国の漁船(国旗が描かれている)だけが立ち寄って来たのを覚えている。ちょっと違和なる顔立ちの人達が、目の前の船上で、ちんぷんかんぷんの言葉で作業していたのを覚えている。

この南風泊港には、他にも思い出があって、ハゼ釣りをしている港奥から伸びる短めの堤防先でも、時々、各季節に竿を出すことがあった。魚道へのチョイ投げでシロギスが釣れたからである。その時、必ず小型のタグボートみたいなものが停泊していて、堤防先まで乗り付けるタクシーから降りる年配の優しそうな初老の男性を乗せては、海の何処かに消えていくのである。逆もあって、海からタグボートが接岸すると、その少し前から待機していたタクシーに初老の男の人が乗り込んで消えていくという瞬間に結構出くわした。この人が何者なんだというのが気になったが、当時はインターネットのない時代……簡単に調べられない。家族の中で意見が一致したのは、沖合に停泊している大型長距離フェリーの船長さんとかではないかという事である。当時、タクシーの運転手さんに聞いたりすれば良かったが、釣りに集中している中での出来事なので、そこまで気が回らなかったのかもしれない。

この南風泊港には、もう一つエピソードがあって、更に港の先に、短い橋が一本だけかかっており、その先には薄汚れた造船所がある周囲の小さそうな島が存在した。ある時、釣り以外のものにも目が行くようになって来ていた私は、この小さな島の外周を探検しようと磯伝いに歩き始めたのだが、小さな島の反対側の辺りに、予想もしていなかった立派だけど、生活感の感じられない建物を発見してしまったのである。玄界灘の荒波を被りそうな雰囲気で迫り出した窓を見て、この建物は只者ではないと思い、また、その直下の磯を歩くことが敷地への不法侵入になる可能性も感じて、引き返したのを覚えている。インターネットのない時代、その建物の真相を調べようがなかったが、誰かが、対岸の北九州育ちの昭和の名俳優の高倉健の別荘じゃないかとの助言をくれて、自分の中では、それなら納得と、事の真相を突き止めることに終止符を打ったのであった。

ところで、話は脱線したが、20センチ弱のハゼしか釣った事がない経験を子供の頃にしている身としては、関東で釣れるハゼが、小さくてびっくりする。5、6年前に、江戸川で10月に旧友とボート釣りを興じた時も、数は釣れるけど、サイズは平均10センチ前後といったところであった。丁寧に捌いて、美味しく食べたけど、もうちょっとサイズアップが欲しいと思った。

釣りの世界の言葉で、“鮒に始まり鮒に終わる“という言葉があるが、私の中では、“鯊に始まり鯊に終わる“という言葉を当てはめたい小さな夢がある。いつか身近な水域でも、汽水にも暮らす鯊が釣れる日が来る事を願って……。