ヒグラシ

私の家の近所では、夏の訪れと共に、このヒグラシの♪カナカナカナカナカナ〜♪という鳴声を耳にする事ができる。

初めてヒグラシの鳴声を聞いたのは、小学校時代の子供会で行った宿泊遠足の時だったと思う。千葉から、中央線の鈍行列車に揺られ行った先は、高尾山(御嶽山?)だった記憶がある。山頂近くの古びた宿の一つに宿泊したのだが、その時に夕方、宿を囲む杉林の中から、聞こえてきたのがヒグラシの声だった。

引率の大人達に、声の主を尋ねるが、分からない人も多く、カエル(カジカガエル?)だろうと教えてくれた人も居た。そんな中で、ヒグラシという蝉の鳴き声だと断言する大人が現れ、私達もヒグラシという蝉なんだろうと半信半疑の中、落ち着いた微かな記憶がある。

ただ、その初めてヒグラシの鳴声を耳にした時も、このヒグラシという蝉の鳴き声が、薄暗くなる時間帯と相まって、子供心にも、その優美な憂いた響のユニゾンが、何とも少しせつなくメランコリックな気持ちにしてくれているという感覚は抱いていた。不思議なアドレナリンが体内に染み込んでいく気持ち良さを味わえる声だった。

また、そのヒグラシの鳴声を聞きたいと願うのだが、聞けるチャンスが来るのは、夏の家族旅行で出かけた数日のみだった。そして、夏の旅行先によっては、耳に出来ない。

その後、日本の幾つかの街を、親の転勤と共に渡り歩いたが、成人する前に、唯一、家の近所で、このヒグラシの鳴声を耳に出来たのは、福岡県福岡市の香椎という新興住宅地の中にポツンと取り残された小さな杉林からだけであった記憶がある。

その後も、上京して後の十数年も、一人暮らしで転々とした地でも、ヒグラシと家の近所での出会いは無かった。しかし、状況が一変するのは、結婚と共に移り住んだ茨城において、薄暗い森林からは、このヒグラシの鳴き声が、夏の到来と共に、こだましてくる。家の近所の彼方此方の森林からである…

下の写真は、近所の小学校の体育館に迷い込み、一生を終えたヒグラシの写真である。大きめのサイズから、雄であろう事が伺える。(この写真からは、サイズ比較できませんね)

さて、この独特な印象に残る耳触りの良い声の持主のヒグラシが、現在私が暮らす家の周りの林には沢山生息している。ただ、地元に長く暮らす人達からすれば、生まれた時から、当たり前に耳にして来た鳴き声であり、私のように幼少を街中で育った人間ほどは、ヒグラシの鳴声に思い入れは無いかもしれない。

そして、昨今、このヒグラシの棲む森が、ソーラー発電含む開発で、どんどんと切り開かれて行く現状を目の当たりにしている。

開発による土地の利用目的の変更で、市町村の税収がアップする可能性もある。でも、都心部から、こうした街中には無い自然の良さを体感・享受出来る自治体として、新たな居住者を惹き寄せることにより、人口をアップさせる方が、将来的には、あらゆる面で、自治体の民度の成長に繋がるような気はするのだが…

目先の損得や利益で動いてしまう人達が多い事が嘆かれる。ただ、こうした人達が生まれる原因の一つは、教育に在る。もっともっと自然と調和した将来が展望出来る人達が生まれ、育っていく日が来ることを願う……