ミンミンゼミ

関東に住んでると、夏にミンミンゼミの鳴き声を聞く事ができる。出生から小学生時代までは、関東で過ごした私からすると、夏の定番の声といえば、ミンミンゼミの鳴き声だった。

しかし、日本全国どこでもミンミンゼミの鳴き声が聞けるわけではないと知ったのは、中学から高校まで過ごした九州の福岡時代であった。関東で過ごした幼少時代より、遥かに豊かな自然に囲まれた地域だったが、ミンミンゼミの鳴き声を聞く事は出来なかった。

そんな九州で過ごした中高時代に、時たま、東京の都心ど真ん中にあった祖父母の家を訪れる事が有ったが、それが夏休み中の訪問と重なると、このミンミンゼミの鳴き声を、かなりの大合唱で聞く事が出来た。そこには、ホームに帰って来た嬉しさとミンミンゼミの鳴き声とをクロスさせる自分が居た。

さて、再び、上京して関東に移り住み、早30年近くが過ぎた。ミンミンゼミの鳴き声が、夏に当たり前に聞こえる事に安心感を覚え、ミンミンゼミへの敬意や意識が失われていったのも事実。ただ、最近、昆虫達を始め身近な自然を紹介するブログを開始して、再度ミンミンゼミの鳴き声を思い入れを持って意識し始めると、このミンミンゼミの鳴き声は、アブラゼミやニイニイゼミやツクツクボウシに比べると、関東でも、思いの外、局所的なところからしか聞こえて来ていないかという気がしてきた。もっと突き詰めると、この雑木林には居るけど、少し雰囲気の違う近くのこの森には居ないと言った具合にである。

ヒグラシなんかも、同じ状況が当てはまる蝉のような気がする。

おそらく、この蝉側サイドからしての繊細な好みが、このミンミンゼミの生息場所が日本の中で偏りが生まれる原因になっていると思われるのだが……。比較的自然に囲まれた我が家の周りでも、このミンミンゼミの鳴き声は、随分遠方から聞こえてくるだけで、そこらじゅうのどこの木からでも発生しているわけではない事が分かる。

このミンミンゼミの鳴き声を辿り、その鳴いていた木や生息環境の共通点をチェックしていけば、ミンミンゼミの生態への意外な事実(落とし穴)に出食わせるのかもしれない。

本日、この文章を書いている現在(16時半)も、台風一過の気温上昇のせいか、9月に入ったが、ミンミンゼミの鳴き声を、ちょうど耳にしていた。因みに、今日は仕事は休みである。

来年は、もう少しミンミンゼミに興味持ってみようかな。一年のうち、蝉の鳴き声が聞こえる時期もいっときの事であるし……

最後に、仕事先で見つけた既に寿命を全うしたと思われるミンミンゼミの写真のアップで、この投稿を締めくくることにする。

アブラゼミ

このセミは、どこでも見かける。少なくとも、私が日本の各地を引っ越しや旅行で転々とした地で、必ず見かけたセミのような気がする。

ただ、全てのセミの種類が、全国に生息しているわけでなく、このセミは、この地域には居ない等の地域差が存在するのも確かな気がする。

関東では、よく耳にするミンミンゼミの鳴き声も、九州で暮らした時代に一度も耳にした事がない。逆に、九州で定番のクマゼミを、関東で見かけた事がない。(局地的に、誰かが持ち込んだ物が繁殖してはいるらしい。)

ただ、このアブラゼミは、比較的日本全国何処にでもいるのではと感じる。ツクツクボウシも、比較的、日本全国何処の地においても出会うような気がする。

ところで、私が子供の頃は、このアブラゼミを捕まえても、虫籠に入れることは無かった。あまりに、ありふれた蝉だったし、万一、虫籠に入ってるところを、友達に見られたら、絶対に、「あいつ、アブラゼミ獲って喜んでいる。可哀想な奴。」とからかわれるのが目に見えていたからである。

ただ、近年、公園で虫捕りをしている子供達の虫籠を覗かせてもらうと、入っているのは、このアブラゼミだけだったりする時がある。そして、なんか少しせつなく可哀想に感じる自分がいる。

気軽に色々な虫に出会える環境が無くなってきたのか、虫達の捕まえ方を知らないのかは、分からない。ただ、子供達の虫を捕ってみたいという好奇心の芽を潰さないで欲しい。

小さな子供を育てるお父さん、お母さん、ゲームも良いけど、子供達の好奇心をくすぐるネタがいっぱいの身近な自然の中に、子供達を連れて行こうよ。😊

ヒグラシ

私の家の近所では、夏の訪れと共に、このヒグラシの♪カナカナカナカナカナ〜♪という鳴声を耳にする事ができる。

初めてヒグラシの鳴声を聞いたのは、小学校時代の子供会で行った宿泊遠足の時だったと思う。千葉から、中央線の鈍行列車に揺られ行った先は、高尾山(御嶽山?)だった記憶がある。山頂近くの古びた宿の一つに宿泊したのだが、その時に夕方、宿を囲む杉林の中から、聞こえてきたのがヒグラシの声だった。

引率の大人達に、声の主を尋ねるが、分からない人も多く、カエル(カジカガエル?)だろうと教えてくれた人も居た。そんな中で、ヒグラシという蝉の鳴き声だと断言する大人が現れ、私達もヒグラシという蝉なんだろうと半信半疑の中、落ち着いた微かな記憶がある。

ただ、その初めてヒグラシの鳴声を耳にした時も、このヒグラシという蝉の鳴き声が、薄暗くなる時間帯と相まって、子供心にも、その優美な憂いた響のユニゾンが、何とも少しせつなくメランコリックな気持ちにしてくれているという感覚は抱いていた。不思議なアドレナリンが体内に染み込んでいく気持ち良さを味わえる声だった。

また、そのヒグラシの鳴声を聞きたいと願うのだが、聞けるチャンスが来るのは、夏の家族旅行で出かけた数日のみだった。そして、夏の旅行先によっては、耳に出来ない。

その後、日本の幾つかの街を、親の転勤と共に渡り歩いたが、成人する前に、唯一、家の近所で、このヒグラシの鳴声を耳に出来たのは、福岡県福岡市の香椎という新興住宅地の中にポツンと取り残された小さな杉林からだけであった記憶がある。

その後も、上京して後の十数年も、一人暮らしで転々とした地でも、ヒグラシと家の近所での出会いは無かった。しかし、状況が一変するのは、結婚と共に移り住んだ茨城において、薄暗い森林からは、このヒグラシの鳴き声が、夏の到来と共に、こだましてくる。家の近所の彼方此方の森林からである…

下の写真は、近所の小学校の体育館に迷い込み、一生を終えたヒグラシの写真である。大きめのサイズから、雄であろう事が伺える。(この写真からは、サイズ比較できませんね)

さて、この独特な印象に残る耳触りの良い声の持主のヒグラシが、現在私が暮らす家の周りの林には沢山生息している。ただ、地元に長く暮らす人達からすれば、生まれた時から、当たり前に耳にして来た鳴き声であり、私のように幼少を街中で育った人間ほどは、ヒグラシの鳴声に思い入れは無いかもしれない。

そして、昨今、このヒグラシの棲む森が、ソーラー発電含む開発で、どんどんと切り開かれて行く現状を目の当たりにしている。

開発による土地の利用目的の変更で、市町村の税収がアップする可能性もある。でも、都心部から、こうした街中には無い自然の良さを体感・享受出来る自治体として、新たな居住者を惹き寄せることにより、人口をアップさせる方が、将来的には、あらゆる面で、自治体の民度の成長に繋がるような気はするのだが…

目先の損得や利益で動いてしまう人達が多い事が嘆かれる。ただ、こうした人達が生まれる原因の一つは、教育に在る。もっともっと自然と調和した将来が展望出来る人達が生まれ、育っていく日が来ることを願う……