マハぜ Acanthogobius flavimanus
(Temminck et Schlegel, 1845)

最近、魚釣りを少し気持ちを入れて再開した事もあり、手頃な釣魚であるハゼ(マハゼ)の投稿をしてみようと思う。ちなみに、英名は、Yellowfin gobby である。

生息分布の方は、国内は南西諸島を除くほぼ全域。お隣の韓国にも普通にいるようである。世界的に、他の地域でも、例えば、アメリカ合衆国のカリフォルニア州沿岸部やオーストラリア東岸や、他にも幾つかの湾岸都市で確認されているが、これらの地の広がりは、大型船のバラストに混じって移動した個体達が新天地で拡がり始めたと推測したい。

上の写真の個体で、サイズは20センチを少し超えるぐらいだと思う。

最近、涸沼川で釣った。天ぷらで美味しく食べれる食材を求めて、ズバリ、沙魚(ハゼ)が釣りたくての釣行だったが、釣れてくるのは、クロダイの幼魚ばかり。

クロダイの幼魚の引きは、走りはしないが小気味が良い鋭い連打から始まる。この日は、この引きが飽きない程度にやって来たが、一回だけ違う当たりがあった。大きく鈍く重く揺さぶられるような引きである。セイゴのような一気に竿を絞り込むようなアタリではなかったが、20センチ台のセイゴでも釣れてくるんだろうと予想していたが、水面に現れた魚体を見て、待望のハゼだと分かった。

同時に、そのハゼがとても大きく感じられて、サイズ的に、ちょっと感動してしまった。食味的には、もう少し小さい方が、味がボケなくって良いかなと冷静に魚体を眺めてはいた。

実際に、帰宅後に採寸したら、20センチを少し上まる程度の大きさだったが、自分の中での関東のハゼの印象からしたら、デカイの来たなといった感じである。

ここで、幼少期からの自分のハゼ(マハゼ)絡みのの思い出を書いてみようと思う。

元々、サーフでの投げ釣りを趣味の一つにしていた別居の祖父に教えられたのか、私の父も、投げ釣りにハマっていた。そして、自分も、小2ぐらいの時には、2,4メートルのグラス竿を与えられて、父の釣りに同行し始めた。登竜門的に釣れて来られたのが、千葉市の花見川で、この地で、魚のアタリが糸を伝って竿を握る手元まで伝わって来る感覚を覚えさせられた。魚影が濃く頻繁にアタリを感じられる近場のハゼ釣りが、入門には、うってつけとの父の思惑があったかどうかは分からない。

その後は、堤防からの子供のチョイ投げで、掛かって来る魚のひとつがハゼになったが、小学生の高学年になると、子供達同士で、自転車に乗り、千葉港の埋立地の先まで、時々ハゼを狙いに出かけ始めた。当時、ゴカイと言われるブニョブニョした餌を買って、上州屋で揃えた道具で釣り始めるのだが、サイズは大きくはないが、簡単に十分なぐらい釣れた。外道は、通称ワタリガニぐらいであった。

その後、千葉を離れ、九州北部の地に住むことになったが、この地では、魅力的な魚種が豊富で、ハゼ釣りという文化は、マイナーというかアンダーグラウンドだった気がする。釣りの超ビギナーが、普段魚釣りをしない奥さんや子供を連れて、小河川の河口で秋に賑わう姿を、ローカルな釣り雑誌が時々取り上げてるぐらいの印象である。

小ネタとしては、小河川の上にある踏切の上げ下げを手動でする国鉄職員が、職務中に足元の小河川でハゼを釣りながら職務をしていたことがバレて、新聞で叩かれていたのを覚えている。肉体労働系の国鉄職員が、勤務の最後に施設内の入浴施設で入浴している事も叩かれ始めた頃に、国鉄はJRへと組織が変わった。お友達には、この国鉄やJRの職員の家が、現業から管理職まで、幅広く沢山いた。

そんな時代に、我家が、決まって、ハゼ釣りに出かける時期と場所があった。

手軽にシロギスが釣れなくなる晩秋以降、じっと辛抱のカレイの投げ釣りをという選択肢も当然あるが、自分は歩いてサビいて魚を探す派だったので、この冬のカレイ釣りが性に合わなかった。そんな冬場に、大型のハゼが貯まる場所を偶然に見つけてしまった我が家は、それ以降、お正月は、午後になるとその場所に向かうことが毎年の行事となった。4、5年は続いたと思う。

その場所というのは、山口県下関市の彦島という一見、島に見えないエリアにある南風泊(ハエドマリ)港の最奥である。島といっても、短い陸橋が何本もあった気がする。高校の遠足では、歩いて、この島まで行った記憶がある。

そして、この場所は、大型ハゼの入れ食いであった。真冬の寒い時期に、20センチ前後のハゼが幾らでも釣れた。自分が釣ったハゼの最大サイズの23センチちょっともここで釣った。(未だに探せば、魚拓が出てくると思う。)

休日に行くから閑散としてて、誰も作業していなかったし、港の最奥でハゼ釣りなんかしてる人達なんか我家ぐらいしかいなかった。この南風泊港というのは、当時から知っていたが、フグの水揚げ量が日本一の港であった気がする。そして、休日に港は休みだが、韓国の漁船(国旗が描かれている)だけが立ち寄って来たのを覚えている。ちょっと違和なる顔立ちの人達が、目の前の船上で、ちんぷんかんぷんの言葉で作業していたのを覚えている。

この南風泊港には、他にも思い出があって、ハゼ釣りをしている港奥から伸びる短めの堤防先でも、時々、各季節に竿を出すことがあった。魚道へのチョイ投げでシロギスが釣れたからである。その時、必ず小型のタグボートみたいなものが停泊していて、堤防先まで乗り付けるタクシーから降りる年配の優しそうな初老の男性を乗せては、海の何処かに消えていくのである。逆もあって、海からタグボートが接岸すると、その少し前から待機していたタクシーに初老の男の人が乗り込んで消えていくという瞬間に結構出くわした。この人が何者なんだというのが気になったが、当時はインターネットのない時代……簡単に調べられない。家族の中で意見が一致したのは、沖合に停泊している大型長距離フェリーの船長さんとかではないかという事である。当時、タクシーの運転手さんに聞いたりすれば良かったが、釣りに集中している中での出来事なので、そこまで気が回らなかったのかもしれない。

この南風泊港には、もう一つエピソードがあって、更に港の先に、短い橋が一本だけかかっており、その先には薄汚れた造船所がある周囲の小さそうな島が存在した。ある時、釣り以外のものにも目が行くようになって来ていた私は、この小さな島の外周を探検しようと磯伝いに歩き始めたのだが、小さな島の反対側の辺りに、予想もしていなかった立派だけど、生活感の感じられない建物を発見してしまったのである。玄界灘の荒波を被りそうな雰囲気で迫り出した窓を見て、この建物は只者ではないと思い、また、その直下の磯を歩くことが敷地への不法侵入になる可能性も感じて、引き返したのを覚えている。インターネットのない時代、その建物の真相を調べようがなかったが、誰かが、対岸の北九州育ちの昭和の名俳優の高倉健の別荘じゃないかとの助言をくれて、自分の中では、それなら納得と、事の真相を突き止めることに終止符を打ったのであった。

ところで、話は脱線したが、20センチ弱のハゼしか釣った事がない経験を子供の頃にしている身としては、関東で釣れるハゼが、小さくてびっくりする。5、6年前に、江戸川で10月に旧友とボート釣りを興じた時も、数は釣れるけど、サイズは平均10センチ前後といったところであった。丁寧に捌いて、美味しく食べたけど、もうちょっとサイズアップが欲しいと思った。

釣りの世界の言葉で、“鮒に始まり鮒に終わる“という言葉があるが、私の中では、“鯊に始まり鯊に終わる“という言葉を当てはめたい小さな夢がある。いつか身近な水域でも、汽水にも暮らす鯊が釣れる日が来る事を願って……。

シモフリシマハゼ Tridentiger bifasciatus (Steindachner, 1881)

最近、ハゼ(マハゼ)釣りにハマっている。8月までは、ウナギ釣りにハマっていたが、9月になり、ウナギが釣れなくなったので、取り敢えず、お手軽なイメージのハゼでも釣ってみるかといった感じである。お手軽と言っても、食味的には、マハゼは、自分的には高級魚のランクである。

この日は、関東最大の汽水湖である涸沼と海を繋ぐ涸沼川で竿を出してみた。お友達らから、「デカいハゼは、テトラの中を狙え!」と言われてたので、半信半疑やってみた。

さてさて、テトラの隙間は沢山あるが、いざ仕掛けを落としてみると、予想してたより全然浅い。おまけに、アタリも全然感じないので、置き竿でしばらく放置。

メインは、流れのある本流をサビいて、ほどほどにクロダイの幼魚からの魚信を楽しんでいた。

時々、全く竿先に変化の起きない置き竿を上げてみるのだが、この魚が掛かっていることが殆どだった。

平均サイズは、8センチぐらいであったであろうか。

なんだ、この縞のあるハゼは?……未だに、名前を知らない魚がいるもんだと思いながら、釣れ上がって来ても、サイズ的に全部リリースした。

あまり鮮明ではないが、写真には撮っていたので、帰宅後、種名を調べてみると、シモフリシマハゼと種名が判明した。とにかく、過去の印象に残っていない魚なのは確かである。

シモフリシマハゼの名前の由来は、眼の下の方から腹部にかけて見える散りばめられた小点が霜降りを意味し、写真でも見て取れる体側を走る横縞がシマを意味していると思われるのである。

生息分布の方は、国内は北海道から九州に至るまで。海外の生息分布は、ロシア沿海州、朝鮮半島、台湾、対する中国福建省や香港辺りから生息報告が上がっている。そして、興味深いのは、アメリカ西海岸の沿岸部。こちらは、大型船のバラストに混ざって移動してしまったんだと推測できる。

まだ食した事はないが、美味との事である。美味と表現されても、骨とか苦味のある場所を取り除いて食べるタイプの私には、好む味でないのは想像が付く。ただ、魚の腹わた等の苦味を最高の栄養として捉えるなら、食べやすい魚の予感もする。

いつか、食してみようと思う。

クロダイ (チヌ) Acanthopagrus schlegelii (Bleeker, 1854)

最近、少し車を飛ばし、海水の入るエリアに釣りに行くことが増えたのだが、下の魚種は、涸沼川という小河川で釣れてきた。飽きない程度に釣れて来る。

上の写真の個体で、体長15センチぐらい。

さて、種名はと言うと、幼魚ではあるがクロダイだと思う。子供の頃から釣りを趣味にする人達は多いが、釣りをする人には、とても馴染みのある魚である。

私は、少年時代を九州で過ごしたことがあるが、その地でも、チヌと言われて、海のウキ釣りの対象魚の王様みたいな位置付けにあった魚である。子供達には、チヌの幼魚の別名であるチンチンという愛称が、大いに受けていたのも思い出す。

私は、少年時代は、親と一緒に釣りに出かけるときは、もっぱら白砂のサーフで投げ釣りをしていたので、このクロダイが釣れて来る事はほぼ皆無であった。その環境で釣れてくるのは、クロダイではなく、真鯛の子であるチャリコである。

おそらく、子供達だけで出かける堤防での気楽なヘチ釣りで、ごくたまに釣れてきたかなという思い出ぐらいである。子供達の竿や素手竿(手釣り)には、クロダイよりも圧倒的にメジナが掛かった。そして、次に多いのはアイナメ。次に多いのは、カサゴやメバルだったであろうか。餌は、堤防にへばり付くフナムシで十分であった。

ゆえに、殆ど、我家の食卓に、クロダイが上ることはなく、しっかりとした味の記憶が残っていないのだが、1ヶ月ぐらい前だったか、近所のスーパーで、30センチぐらいのクロダイが格安で売っていたので、刺身に挽いて恐る恐る食べてみた。感想は、脂がかなり乗った美味しい味であり、へぇ〜って思った。

それでは、この日本全国津々浦々で釣りの対象魚として人気のあるクロダイ(チヌ)の生息分布はと言うと、国内は、北海道の南部から九州の奄美大島辺りまでで、海外は、朝鮮半島辺りを北限に中国沿岸や、南は台湾辺りまで生息しているらしい。そして、沖縄含む南西諸島には、クロダイではなく近縁種達が生息しているとの事である。

どうして、このクロダイの生息分布に拘ったかと言うと、今回釣行した河川では、クロダイばかりが釣れてきたが、それほど遠くない河川(例を上げるなら千葉県の太平洋岸の河川)では、同じような環境では、キチヌ(キビレ)という種が、優先種として釣れて来るのである。

当然、自分としては、このそっくりな2種の違いや、これまで辿ってきた進化の歴史が知りたくなってしまうのである。そして、2種の棲み分けに繋がる原因や環境が何処にあるのか突き止めたくなってしまうのである。

最後に、私のブログでは、基本的に家の近所で見かける事が出来る生物の投稿をしているので、今回のような海の魚を投稿するのは違うと思いそうだが、本当にそうであろうか?

私が住んでいる場所は、茨城県の洪積台地上の端にあり、今より海面が高かった縄文時代には、目と鼻の先の眼下にある現在の新田系のエリアは、海(海水が来ている)であったことが明らかである。その証拠に、近所の台地上には、ところどころ貝塚が見つかり、当然、クロダイの骨も混じっているのである。

増え続ける人口を養うために、そうした元々海であった場所は干拓されて食糧増産の水田へと姿を変えて、同時に、その地に暮らす人達のために、農地への塩害防止や、飲料水確保のために、汽水域が淡水化されていく。

日本で2番目に大きな淡水湖である霞ヶ浦が昔のような汽水湖に戻る時代がいつか来るんであろうなと予測しながら、この投稿を締めくくる。