キビレ Acanthopagrus latus (Houttuyn, 1782)

 我家の近隣の生物とは言い難いが、7月の頭に九十九里浜に注ぐ河川の河口で釣れた魚である。

まだまだ10センチを少し超えるぐらいの幼魚であるが、同じような環境でよく釣れてくるクロダイ(チヌ)の幼魚と、なんか違うと感じた。

そして、これがキビレという魚かと思い調べたところ、やはりキビレなのかなとの結論に至った。

ヘダイはもっと頭部が張り出しているし、クロダイの幼魚にはうっすら縞紋様が見える。

ところで、このキビレは見たかった魚である。昔から馴染みのあるチヌの幼魚(チンチン)ではなく、このキビレ(キチヌ)という魚が、どのような生息分布をしているのかを学ぶキッカケが欲しかったのである。

という事で、キビレの生息分布を、クロダイ(チヌ)との比較も交えて眺めてみる事にした。

国内は、関東以西の太平洋岸が主な生息域で、兵庫県以西では日本海側にも生息しているようである。ただ、日本の領域である南西諸島にはいないとの情報もあった。海外は、中国の南部沿岸に多く見られて、遠くは、オーストラリア沿岸や、インドの沿岸やペルシャ湾の方まで生息しているようである。

一方で、同じクロダイ属のクロダイの方は、国内は、北海道南部を北限に、日本の沿岸部にはほぼ生息しているようである。ただ、奄美諸島以西の南西諸島には、ナンヨウチヌという似た種が生息しており、生息していないとのことである。海外の生息分布は、韓国沿岸、台湾沿岸、中国南部沿岸に生息しているようで、本投稿の主であるキビレよりは、クロダイの方が世界規模では限定的な生息分布を示している事が分かった。

シロギス Sillago japonica (Temminck and Schlegel, 1843)

この魚は、近隣の低い沖積平野のところが海に戻ったり、近くの霞ヶ浦に再び海水が入り汽水化しても、身近に見られる魚にはならないと思うのだが、幼き頃より、とても親しみのある魚なので、投稿してみる事にした。

名前はシロギス。

生息分布の方は、黒潮が流れる日本国内沿岸。この黒潮という暖かい海流を根拠に、海外の生息分布は、韓国、台湾、中国南東部沿岸。もっと南のフィリピン沿岸にも生息しているようである。

上の写真の個体は、先月の終わりに、小学生の娘と房総を旅行した時に、館山港で娘が釣り上げた個体である。

水面から顔を出した時には、「何だ?この魚は?」みたいな感じであったが、陸に上げたものを近くで見ると、シロギスじゃないかと歓喜することになった。歓喜の理由は、久々の対面であったからであろうか。釣魚としては、20数年ぶりの出会いであった。食材としては、築地市場に行く人についでに買ってもらったり、インターネットで取り寄せを試みたりはしていた。しかし、インターネットでは、送料もかかり、過去に九州や山陰で釣りを楽しんでいた時代にあまりに身近な釣魚であったため、「1匹数百円になってしまうのは高いなぁ〜」と感じて、注文を躊躇する事もしばしばあった。

因みに、上の写真の個体は、体長24センチぐらいあり、現場ではとても大きく感じた。針を外そうと、掌で頭を包むと、パシッパシッと腕の内側を尾鰭で叩いて来る。その瞬間、大ギスと言えば、肘叩きというワードが有ったよなと思い出した。

とにかく、27センチ以上の大きなキスになると、頭を掴むと曲げた肘の辺りまで尾は届き、この肘叩きを実感した物だった。針を5本とか6本付けての、キスの数釣りも面白かったが、大ギス狙いも、ドキドキやワクワク感があり、楽しかった思い出がある。家族会議の結果、熊本県の天草や、長崎県の平戸や、遠くはフェリーで韓国の直ぐそばの対馬まで、大きなキスを求めて、家族で出かけた事があった。

ただ、30センチの壁を超えることは、家族の誰も出来なかったような気がする。大きいのは釣れて来るのだが、29,5センチとか29,8センチとか以上に伸びないのである。確か、当時のシロギスの日本記録は、33センチぐらいであったと思う。

ただ、食すという点では、自分達は、24センチ以上のサイズのシロギスは、味が凝縮しないでボケてしまう事を知っていて、15センチから22センチぐらいまでのサイズに、真っ先に箸が向かったものである。当時の料理としては、綺麗に捌いて、フライで食べるスタイルがメインだった。もちろん、刺身や塩焼きなんかでも食べたことはあるが、育ち盛りの身には、淡白で物足りなかったのである。

今回、釣れたシロギスが1匹で、サイズが大きめであったことから、刺身で食べてみる事にした。シロギスの刺身なんかを食べるのは、本当に何十年ぶりだろう?味の方は、コリコリ感が均等にある身で、上品な旨味もしっかり効いていて、とても美味に感じた。

真ん中の列がシロギスで、両側の刺身は、同じく娘が釣ったマゴチである。

最後に、私にとっての釣りの魅力って、ガソリン代や高速代はかかるが、こうやって、魚屋に流通しない魚が釣れて、味を楽しむことが出来ることかなと思う。スーパーの鮮魚売り場に並ぶ魚は、日本近海の食べれる魚の本当に一部の一握りでしかない。おまけに、味が最高に文句なしに美味しいと思えない魚も多い。日本の沿岸には、スーパーの鮮魚売り場に並ばないけど、美味しい魚がごまんといる事を、多くの人に知ってもらいたい。

今回は、釣りデビューで釣りにハマったのか、帰宅を考えていた時間に、「まだ他の場所で釣りたい!」という娘の要望で、最後に立ち寄った堤防で、岩壁の直ぐそばで、このシロギスは釣れて来てくれた。

同時に、私が小学生低学年の時に、父に連れられて、初めてシロギスなる魚を釣ったのも、この館山の海であった事を、ふと思い出した。

将来、娘に家族が出来たら、この館山の海で、シロギス釣りに興じてくれればなとも、思った。

マハぜ Acanthogobius flavimanus
(Temminck et Schlegel, 1845)

最近、魚釣りを少し気持ちを入れて再開した事もあり、手頃な釣魚であるハゼ(マハゼ)の投稿をしてみようと思う。ちなみに、英名は、Yellowfin gobby である。

生息分布の方は、国内は南西諸島を除くほぼ全域。お隣の韓国にも普通にいるようである。世界的に、他の地域でも、例えば、アメリカ合衆国のカリフォルニア州沿岸部やオーストラリア東岸や、他にも幾つかの湾岸都市で確認されているが、これらの地の広がりは、大型船のバラストに混じって移動した個体達が新天地で拡がり始めたと推測したい。

上の写真の個体で、サイズは20センチを少し超えるぐらいだと思う。

最近、涸沼川で釣った。天ぷらで美味しく食べれる食材を求めて、ズバリ、沙魚(ハゼ)が釣りたくての釣行だったが、釣れてくるのは、クロダイの幼魚ばかり。

クロダイの幼魚の引きは、走りはしないが小気味が良い鋭い連打から始まる。この日は、この引きが飽きない程度にやって来たが、一回だけ違う当たりがあった。大きく鈍く重く揺さぶられるような引きである。セイゴのような一気に竿を絞り込むようなアタリではなかったが、20センチ台のセイゴでも釣れてくるんだろうと予想していたが、水面に現れた魚体を見て、待望のハゼだと分かった。

同時に、そのハゼがとても大きく感じられて、サイズ的に、ちょっと感動してしまった。食味的には、もう少し小さい方が、味がボケなくって良いかなと冷静に魚体を眺めてはいた。

実際に、帰宅後に採寸したら、20センチを少し上まる程度の大きさだったが、自分の中での関東のハゼの印象からしたら、デカイの来たなといった感じである。

ここで、幼少期からの自分のハゼ(マハゼ)絡みのの思い出を書いてみようと思う。

元々、サーフでの投げ釣りを趣味の一つにしていた別居の祖父に教えられたのか、私の父も、投げ釣りにハマっていた。そして、自分も、小2ぐらいの時には、2,4メートルのグラス竿を与えられて、父の釣りに同行し始めた。登竜門的に釣れて来られたのが、千葉市の花見川で、この地で、魚のアタリが糸を伝って竿を握る手元まで伝わって来る感覚を覚えさせられた。魚影が濃く頻繁にアタリを感じられる近場のハゼ釣りが、入門には、うってつけとの父の思惑があったかどうかは分からない。

その後は、堤防からの子供のチョイ投げで、掛かって来る魚のひとつがハゼになったが、小学生の高学年になると、子供達同士で、自転車に乗り、千葉港の埋立地の先まで、時々ハゼを狙いに出かけ始めた。当時、ゴカイと言われるブニョブニョした餌を買って、上州屋で揃えた道具で釣り始めるのだが、サイズは大きくはないが、簡単に十分なぐらい釣れた。外道は、通称ワタリガニぐらいであった。

その後、千葉を離れ、九州北部の地に住むことになったが、この地では、魅力的な魚種が豊富で、ハゼ釣りという文化は、マイナーというかアンダーグラウンドだった気がする。釣りの超ビギナーが、普段魚釣りをしない奥さんや子供を連れて、小河川の河口で秋に賑わう姿を、ローカルな釣り雑誌が時々取り上げてるぐらいの印象である。

小ネタとしては、小河川の上にある踏切の上げ下げを手動でする国鉄職員が、職務中に足元の小河川でハゼを釣りながら職務をしていたことがバレて、新聞で叩かれていたのを覚えている。肉体労働系の国鉄職員が、勤務の最後に施設内の入浴施設で入浴している事も叩かれ始めた頃に、国鉄はJRへと組織が変わった。お友達には、この国鉄やJRの職員の家が、現業から管理職まで、幅広く沢山いた。

そんな時代に、我家が、決まって、ハゼ釣りに出かける時期と場所があった。

手軽にシロギスが釣れなくなる晩秋以降、じっと辛抱のカレイの投げ釣りをという選択肢も当然あるが、自分は歩いてサビいて魚を探す派だったので、この冬のカレイ釣りが性に合わなかった。そんな冬場に、大型のハゼが貯まる場所を偶然に見つけてしまった我が家は、それ以降、お正月は、午後になるとその場所に向かうことが毎年の行事となった。4、5年は続いたと思う。

その場所というのは、山口県下関市の彦島という一見、島に見えないエリアにある南風泊(ハエドマリ)港の最奥である。島といっても、短い陸橋が何本もあった気がする。高校の遠足では、歩いて、この島まで行った記憶がある。

そして、この場所は、大型ハゼの入れ食いであった。真冬の寒い時期に、20センチ前後のハゼが幾らでも釣れた。自分が釣ったハゼの最大サイズの23センチちょっともここで釣った。(未だに探せば、魚拓が出てくると思う。)

休日に行くから閑散としてて、誰も作業していなかったし、港の最奥でハゼ釣りなんかしてる人達なんか我家ぐらいしかいなかった。この南風泊港というのは、当時から知っていたが、フグの水揚げ量が日本一の港であった気がする。そして、休日に港は休みだが、韓国の漁船(国旗が描かれている)だけが立ち寄って来たのを覚えている。ちょっと違和なる顔立ちの人達が、目の前の船上で、ちんぷんかんぷんの言葉で作業していたのを覚えている。

この南風泊港には、他にも思い出があって、ハゼ釣りをしている港奥から伸びる短めの堤防先でも、時々、各季節に竿を出すことがあった。魚道へのチョイ投げでシロギスが釣れたからである。その時、必ず小型のタグボートみたいなものが停泊していて、堤防先まで乗り付けるタクシーから降りる年配の優しそうな初老の男性を乗せては、海の何処かに消えていくのである。逆もあって、海からタグボートが接岸すると、その少し前から待機していたタクシーに初老の男の人が乗り込んで消えていくという瞬間に結構出くわした。この人が何者なんだというのが気になったが、当時はインターネットのない時代……簡単に調べられない。家族の中で意見が一致したのは、沖合に停泊している大型長距離フェリーの船長さんとかではないかという事である。当時、タクシーの運転手さんに聞いたりすれば良かったが、釣りに集中している中での出来事なので、そこまで気が回らなかったのかもしれない。

この南風泊港には、もう一つエピソードがあって、更に港の先に、短い橋が一本だけかかっており、その先には薄汚れた造船所がある周囲の小さそうな島が存在した。ある時、釣り以外のものにも目が行くようになって来ていた私は、この小さな島の外周を探検しようと磯伝いに歩き始めたのだが、小さな島の反対側の辺りに、予想もしていなかった立派だけど、生活感の感じられない建物を発見してしまったのである。玄界灘の荒波を被りそうな雰囲気で迫り出した窓を見て、この建物は只者ではないと思い、また、その直下の磯を歩くことが敷地への不法侵入になる可能性も感じて、引き返したのを覚えている。インターネットのない時代、その建物の真相を調べようがなかったが、誰かが、対岸の北九州育ちの昭和の名俳優の高倉健の別荘じゃないかとの助言をくれて、自分の中では、それなら納得と、事の真相を突き止めることに終止符を打ったのであった。

ところで、話は脱線したが、20センチ弱のハゼしか釣った事がない経験を子供の頃にしている身としては、関東で釣れるハゼが、小さくてびっくりする。5、6年前に、江戸川で10月に旧友とボート釣りを興じた時も、数は釣れるけど、サイズは平均10センチ前後といったところであった。丁寧に捌いて、美味しく食べたけど、もうちょっとサイズアップが欲しいと思った。

釣りの世界の言葉で、“鮒に始まり鮒に終わる“という言葉があるが、私の中では、“鯊に始まり鯊に終わる“という言葉を当てはめたい小さな夢がある。いつか身近な水域でも、汽水にも暮らす鯊が釣れる日が来る事を願って……。