最近、近隣で見かけて写真に撮った。
比較的街中の人通りも多い林で見かけた。大きなクヌギの木の横を何気なく通り過ぎようとした時に、この蝶が飛び立った。樹液に来ていたところと、ちょっと見慣れない蝶だったので、アカタテハだろうと予想して、なんとか写真に撮ろうと暫く追いかけっことなった。
翅も傷付いているのか、遠くへと一瞬で飛び去ることは無かったが、どうしても翅を開いた表面を見せてくれることはなかった。
このアカタテハという蝶は、想像以上になかなか出会えない蝶である。勿論、こうした蝶の多い少ないは、その年その年の環境因子にもよるが、この蝶が居そうな場所に、ツマグロヒョウモンやキタテハは、常に数え切れないぐらい居るのに比べると、ヒメアカタテハやアカタテハはぐんと数が少なくなる。そして、ヒメアカタテハは時々出会えるが、アカタテハになると、出会えるとラッキーではなく、超ラッキーみたいな気持ちに私はなる。今年は、アカタテハを見かける方だと思うが、それでも、今回で3回目である。
さて、このアカタテハは、個体差もあるが、私は、他の似た蝶とは見間違わない気がする。翅の表面(上から見た時の翅の見える面)の爪先の方が、他の蝶より黒っぽい気がするからである。
ところで、このアカタテハの幼虫の食草は、限りなくカラムシで良いと思っている。同じイラクサ科のカラムシとヤブマオが30メートルぐらいの距離で生えている場所を知っているが、ヤブマオとカラムシの両方にクロキシタアツバという蛾の幼虫はいても、アカタテハの幼虫はカラムシにしか見れない。きっと葉の大きさとかにも好みがあるのかもしれない。
カラムシ自体は、古くからある農村集落には必ずと言って良いほど集落の何処かには植っている植物である。そして、そうしたカラムシの小さな群落を眺めていると、このアカタテハの幼虫や蛹を、案外見つける事は出来る。案外見つかる理由は、カラムシの葉が種類問わず裏面が白っぽいのだが、その裏面が人間の目には目立つ形で巣を作ってしまい、その中で生活する習性があるからである。
ただ、幼虫や蛹を見かけるわりには、蝶となった成虫には出会わない。
最後に、このアカタテハの将来を考えた時に、なかなか厳しんじゃないのかなと思えてしまう。というのは、アカタテハが選んでいるカラムシという植物が、地味な花しか咲かせない、現代人になんの魅力も意味もない植物にしか映っていない気がする。意味の無い植物として、人類にぞんざいに扱われていく運命を感じる。意味の無い植物なんて、この世にないのだが……。
もはや、このカラムシの繊維から織物を作っていたという歴史を知っている人がどれだけ居るであろうか?そんな私も、カラムシの小さな群落を見つめながら、遠い昔の里山の風景や暮らしを思い浮かべれるようになったのは、最近のことである。