シュレーゲルアオガエル? 雌 Zhangixalus schlegelii (Gunther, 1859)

最近は、殆ど昆虫を見かけないので、すっかり投稿はご無沙汰になっていたが、たまたま古い写真を見返していたら、カエルの写真が目に留まった。

撮影年月日は、3年前の4月12日。撮影場所は、自宅だが、元々捕まえた場所は、近所の用水路である。

少し大きいアマガエルのメスだなぁと感じながら持ち帰って来たのだが、当初からアマガエルにしては、少し違和感を覚えていたのは確かであった。

いくら産卵間近で身体に変化が現れている可能性を視野に入れても、アマガエルの肌感って、こんなにザラザラしていたかとは感じていた。そして、鼻の尖り方も、アマガエルより鋭い気がする。また、ネット上のシュレーゲルアオガエルの写真を確認すると、上の写真のように、黄色い小点が散りばめられた似たような個体も目にする事が出来る。

この辺を考慮すると、もしかして、シュレーゲルアオガエルではないかと思うのだが、どうなのであろう?私が、シュレーゲルアオガエルに馴染みがないので、自信はないのだが……

同所にいるカエルで、間違いそうなウシガエルの子供の可能性を考慮しても、ウシガエルの子供には、もうちょっとイボイボがあるし、この小さなサイズで産卵するとは思えない。

という事で、我が家の近所の環境には、アマガエルと同所に、シュレーゲルアオガエルもいるんだなと思い始めている自分がいる。

さて、このシュレーゲルアオガエルの生息分布は、海外はちょっと分からなかったが、国内は、本州以南……四国と九州までのようである。五島列島にはいるようであるが、対馬や佐渡島にはいないとの情報も読んだ。どうも、日本固有種のようでもある。ちなみに、このカエルは、泡に包まれた卵塊を産み落とすのだが、似たような習性を持ち、似たような雰囲気の近縁種にはモリアオガエルがいる。(モリアオガエルの国内分布は、本州と佐渡島である。)

最後に、これまで私もあまり見たことのないカエルだったが、各都道府県が独自に定めるレッドデータでは、東京都が絶滅危惧I類に、栃木県、埼玉県、千葉県、奈良県、大阪府、兵庫県、岡山県が、準絶滅危惧種に指定している。他にも、神奈川県、滋賀県、京都府、愛媛県が、注視している種のような括りに選定している。

マハぜ Acanthogobius flavimanus
(Temminck et Schlegel, 1845)

最近、魚釣りを少し気持ちを入れて再開した事もあり、手頃な釣魚であるハゼ(マハゼ)の投稿をしてみようと思う。ちなみに、英名は、Yellowfin gobby である。

生息分布の方は、国内は南西諸島を除くほぼ全域。お隣の韓国にも普通にいるようである。世界的に、他の地域でも、例えば、アメリカ合衆国のカリフォルニア州沿岸部やオーストラリア東岸や、他にも幾つかの湾岸都市で確認されているが、これらの地の広がりは、大型船のバラストに混じって移動した個体達が新天地で拡がり始めたと推測したい。

上の写真の個体で、サイズは20センチを少し超えるぐらいだと思う。

最近、涸沼川で釣った。天ぷらで美味しく食べれる食材を求めて、ズバリ、沙魚(ハゼ)が釣りたくての釣行だったが、釣れてくるのは、クロダイの幼魚ばかり。

クロダイの幼魚の引きは、走りはしないが小気味が良い鋭い連打から始まる。この日は、この引きが飽きない程度にやって来たが、一回だけ違う当たりがあった。大きく鈍く重く揺さぶられるような引きである。セイゴのような一気に竿を絞り込むようなアタリではなかったが、20センチ台のセイゴでも釣れてくるんだろうと予想していたが、水面に現れた魚体を見て、待望のハゼだと分かった。

同時に、そのハゼがとても大きく感じられて、サイズ的に、ちょっと感動してしまった。食味的には、もう少し小さい方が、味がボケなくって良いかなと冷静に魚体を眺めてはいた。

実際に、帰宅後に採寸したら、20センチを少し上まる程度の大きさだったが、自分の中での関東のハゼの印象からしたら、デカイの来たなといった感じである。

ここで、幼少期からの自分のハゼ(マハゼ)絡みのの思い出を書いてみようと思う。

元々、サーフでの投げ釣りを趣味の一つにしていた別居の祖父に教えられたのか、私の父も、投げ釣りにハマっていた。そして、自分も、小2ぐらいの時には、2,4メートルのグラス竿を与えられて、父の釣りに同行し始めた。登竜門的に釣れて来られたのが、千葉市の花見川で、この地で、魚のアタリが糸を伝って竿を握る手元まで伝わって来る感覚を覚えさせられた。魚影が濃く頻繁にアタリを感じられる近場のハゼ釣りが、入門には、うってつけとの父の思惑があったかどうかは分からない。

その後は、堤防からの子供のチョイ投げで、掛かって来る魚のひとつがハゼになったが、小学生の高学年になると、子供達同士で、自転車に乗り、千葉港の埋立地の先まで、時々ハゼを狙いに出かけ始めた。当時、ゴカイと言われるブニョブニョした餌を買って、上州屋で揃えた道具で釣り始めるのだが、サイズは大きくはないが、簡単に十分なぐらい釣れた。外道は、通称ワタリガニぐらいであった。

その後、千葉を離れ、九州北部の地に住むことになったが、この地では、魅力的な魚種が豊富で、ハゼ釣りという文化は、マイナーというかアンダーグラウンドだった気がする。釣りの超ビギナーが、普段魚釣りをしない奥さんや子供を連れて、小河川の河口で秋に賑わう姿を、ローカルな釣り雑誌が時々取り上げてるぐらいの印象である。

小ネタとしては、小河川の上にある踏切の上げ下げを手動でする国鉄職員が、職務中に足元の小河川でハゼを釣りながら職務をしていたことがバレて、新聞で叩かれていたのを覚えている。肉体労働系の国鉄職員が、勤務の最後に施設内の入浴施設で入浴している事も叩かれ始めた頃に、国鉄はJRへと組織が変わった。お友達には、この国鉄やJRの職員の家が、現業から管理職まで、幅広く沢山いた。

そんな時代に、我家が、決まって、ハゼ釣りに出かける時期と場所があった。

手軽にシロギスが釣れなくなる晩秋以降、じっと辛抱のカレイの投げ釣りをという選択肢も当然あるが、自分は歩いてサビいて魚を探す派だったので、この冬のカレイ釣りが性に合わなかった。そんな冬場に、大型のハゼが貯まる場所を偶然に見つけてしまった我が家は、それ以降、お正月は、午後になるとその場所に向かうことが毎年の行事となった。4、5年は続いたと思う。

その場所というのは、山口県下関市の彦島という一見、島に見えないエリアにある南風泊(ハエドマリ)港の最奥である。島といっても、短い陸橋が何本もあった気がする。高校の遠足では、歩いて、この島まで行った記憶がある。

そして、この場所は、大型ハゼの入れ食いであった。真冬の寒い時期に、20センチ前後のハゼが幾らでも釣れた。自分が釣ったハゼの最大サイズの23センチちょっともここで釣った。(未だに探せば、魚拓が出てくると思う。)

休日に行くから閑散としてて、誰も作業していなかったし、港の最奥でハゼ釣りなんかしてる人達なんか我家ぐらいしかいなかった。この南風泊港というのは、当時から知っていたが、フグの水揚げ量が日本一の港であった気がする。そして、休日に港は休みだが、韓国の漁船(国旗が描かれている)だけが立ち寄って来たのを覚えている。ちょっと違和なる顔立ちの人達が、目の前の船上で、ちんぷんかんぷんの言葉で作業していたのを覚えている。

この南風泊港には、他にも思い出があって、ハゼ釣りをしている港奥から伸びる短めの堤防先でも、時々、各季節に竿を出すことがあった。魚道へのチョイ投げでシロギスが釣れたからである。その時、必ず小型のタグボートみたいなものが停泊していて、堤防先まで乗り付けるタクシーから降りる年配の優しそうな初老の男性を乗せては、海の何処かに消えていくのである。逆もあって、海からタグボートが接岸すると、その少し前から待機していたタクシーに初老の男の人が乗り込んで消えていくという瞬間に結構出くわした。この人が何者なんだというのが気になったが、当時はインターネットのない時代……簡単に調べられない。家族の中で意見が一致したのは、沖合に停泊している大型長距離フェリーの船長さんとかではないかという事である。当時、タクシーの運転手さんに聞いたりすれば良かったが、釣りに集中している中での出来事なので、そこまで気が回らなかったのかもしれない。

この南風泊港には、もう一つエピソードがあって、更に港の先に、短い橋が一本だけかかっており、その先には薄汚れた造船所がある周囲の小さそうな島が存在した。ある時、釣り以外のものにも目が行くようになって来ていた私は、この小さな島の外周を探検しようと磯伝いに歩き始めたのだが、小さな島の反対側の辺りに、予想もしていなかった立派だけど、生活感の感じられない建物を発見してしまったのである。玄界灘の荒波を被りそうな雰囲気で迫り出した窓を見て、この建物は只者ではないと思い、また、その直下の磯を歩くことが敷地への不法侵入になる可能性も感じて、引き返したのを覚えている。インターネットのない時代、その建物の真相を調べようがなかったが、誰かが、対岸の北九州育ちの昭和の名俳優の高倉健の別荘じゃないかとの助言をくれて、自分の中では、それなら納得と、事の真相を突き止めることに終止符を打ったのであった。

ところで、話は脱線したが、20センチ弱のハゼしか釣った事がない経験を子供の頃にしている身としては、関東で釣れるハゼが、小さくてびっくりする。5、6年前に、江戸川で10月に旧友とボート釣りを興じた時も、数は釣れるけど、サイズは平均10センチ前後といったところであった。丁寧に捌いて、美味しく食べたけど、もうちょっとサイズアップが欲しいと思った。

釣りの世界の言葉で、“鮒に始まり鮒に終わる“という言葉があるが、私の中では、“鯊に始まり鯊に終わる“という言葉を当てはめたい小さな夢がある。いつか身近な水域でも、汽水にも暮らす鯊が釣れる日が来る事を願って……。

シマヘビ Elaphe quadrivirgata
(Boie, 1826)

最近、自分の中では、近隣でシマヘビを見かけない気がしている。

シマヘビに多く出会えた雑木林でも、4,5年前を境に出会える蛇は、アオダイショウに代わった気がする。

自然界では、こうした現象はよく起こるが、9月の頭に車で4-50分のところにある場所に、ウナギ釣りに出かけた際に、久しぶりに見かけて写真に撮っていたので、紹介したいと思う。

ウナギ釣りに興じていたが、ふと背後の水門を見るといた感じである。

すぐに、典型的な紋様のシマヘビと分かったが、最近、近隣の自然下で出会うヘビがアオダイショウばかりだったので、少し嬉しく感じた。

シマヘビは、子供の頃より何処でも普通に出会えるヘビだったが、アオダイショウと比べるとそれほど大きくならない印象を持っていた。しかし、10年近く前に、長さはちょっと劣るが、アオダイショウの老体並みに大きく太いシマヘビに出会ってから、随分と大きく育つシマヘビもいるんだなぁとの感想を持っていた。

シマヘビが優占種だった雑木林でアオダイショウしか見かけなくなった理由を自分なりに考えているが、今のところ、答えは見つけれていない。温暖化?………シマヘビを好む天敵の出現?

ただ、その雑木林では、樹液の出るクヌギに集まる甲虫を狙ってか、シマヘビの綺麗なマムシに擬態したような幼体が待ち構えていると思われる姿が観察できたり、積み上げられた材木に座って電話してたら、積み上げられた材木の下からシマヘビの幼体が現れたりして、普段隠れている場所の手掛かりをもらったりしたのを覚えている。

さて、もしかして、シマヘビを見かけなくなったのは、温暖化の影響はないかとの仮説を自分なりに立てて、先ずはシマヘビの本来の生息分布を調べてみたのだが、意外だったことには、シマヘビの英名が、Japanese striped snakeというだけあって、日本列島の固有種と言いたくなるような生息分布であった事である。興味深いのは、アメリカ合衆国の広大なフロリダ州全般にもシマヘビは拡がっているようで、どういう経緯で持ち込まれたものが拡がったんであろうと興味が湧いた。

では、今度は、アオダイショウの生息分布も調べてみたのだが、こちらもJapanese rat snakeという英名が付けられていて、シマヘビ同様に日本列島に固有と言いたくなるような分布なのである。そして、どちらにも気候帯の嗜好みたいなものを、私は見出せなかった。

ちなみに、近隣では見かけたことがないが、幼き時から千葉県や九州の水田でよく見かけていたヤマカガシ(英名:Tiger Keel Back)という蛇は、中国大陸の方にも結構広く分布している蛇ということも知った。(現時点では、日本にいる他の蛇の海外分布は調べていない。)

シマヘビは、温暖な九州の地にも居たのを覚えている。学校の掃除中に、焼却炉の近くにいたシマヘビを捕まえた生徒が、皆に見せようとゴミ箱の中に入れて持ち歩いたのだが、そのゴミ箱の中のシマヘビは、小便臭というか、とても強烈な臭いを撒き散らしていたのを覚えている。

次は、何処でシマヘビに出会えるだろうか……楽しみである。