コマユミ

少し前に家の周りの散策をした時に撮っていた写真を一枚紹介する。

私には、樹形、赤い小さな実、葉の形から、これがコマユミ(ニシキギの枝に翼がないもの)だと直ぐに分かった。

コマユミは、私が仕事でよく出入りするつくばの国の機関の敷地内の森にもよく生えている。可愛い小さな赤い実もさる事ながら、秋には、美しく多少ピンクの混ざった赤色に紅葉して、その風情もまた魅力に感じる。

これまで、このコマユミは、学園都市つくばの元々の雑木林に生えている自生なのか、誰かが敷地内に植栽したものなのかが、私には分からなかった。(植栽するなら、安易にニシキギを選択してしまう気もするが……)

ただ、こうして私の家の周りのおそらく人が足を踏み入れることが無いような場所で、コマユミを見つけると、遠くから運ばれて、鳥の糞から発芽した可能性も有ると思うが、やはり、ニシキギ科のコマユミという落葉低木は、古来より、私達の住む地域には自生していたのかなと思いたくもなる。

この辺りのコマユミの真実も、もう少し探っていけたらなと思う。

ノイバラ

この写真も、1週間ぐらい前に、近所の里山を散歩している時に、何気に撮っていた写真のうちの1枚である。

葉の大きさや形と、茎の所々から出た棘の存在を見ると、ノイバラと思う。

以下に、今度は、ノイバラの実と思われる写真を載せておく。

本当の事を言うと、この写真を撮った時には、この赤い実をサルトリイバラの実と思っていた。しかし、後日、娘が小学校でのリース作りに、色々な木の実を持って行きたいと言う事で、2人でこの木の実を家に採ってきた。

そして、観察した時に、写真では分かりづらいが、実は球形ではなく、太った米粒のような卵型である事に目が止まった………そしてノイバラの実かと分かった次第である。(サルトリイバラの実は、ネット上の果実の写真を見ると、球形に近い気がする。)

さてさて、茨城県人として、このいばらに意識や思い入れを持っている人がどれだけいるのであろうか?

遠い昔の各地の人々の生活を紹介した風土記という書物の中に、この場合は常陸風土記であるが、このイバラと思しきものが登場してくる。

日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を中心とした西からの大陸色の強い支配層の勢力が、常陸の国(現茨城県)にも及んで来た時、もちろん古来からの縄文系の土着の人達が茨城には住んでいた。文明文化の進んだ大和朝廷からすると、その土着の民達は、少し民度が劣っているように見えたのかもしれない。常陸風土記の中では、そうした茨城の土着の人達のことをサイキ(つくば市には妻木という地名がある)と呼び、彼らの穴(縄文人特有の縦穴かと私は類推する)に暮らす風習と、狩猟採集のような生活スタイルが紹介されている。そして、西からの大和朝廷の新興勢力は、食料を盗むという彼らサイキの風習に違和感を感じて頭悩ませたのが伺える。結果、サイキの昼間は穴に戻らないという習性を利用して、昼間の間に、サイキの住居としてる穴の底部に、棘の有るイバラのツタを敷き詰めてやったという記述があるのである。

茨城のイバラが指すものが、ノイバラなのかサルトリイバラなのか、はたまたそれらのミックスなのか分からないが、地名が暗示しているものを、空想したり、読み解く力。人間が忘れてはならない好奇心という重要な能力のひとつの気がする。

チョウセンカマキリ

ちょうど一週間ぐらい前のこと。近所の里山を散歩中に、枯れたササの枝に、カマキリのものと思われる卵を発見。

上が、その場で写真に収めたものだが、ピンボケが酷すぎた。(卵の方は、来年我家でで孵化することを期待して持って帰ってきており、庭の植木鉢に刺しているので、日を改めて鮮明な写真を撮ってみようと思っている。)

さて、この長く縦に線というか溝が走っている卵塊は、カマキリのものであれば、チョウセンカマキリなのではとの薄っすらとした知識が有ったが、家で、この写真の卵塊を照合したところ、やはりチョウセンカマキリの卵のようである。

近所に住むカマキリ達としては、既に我家の庭レベルでも、オオカマキリ、ハラビロカマキリ、コカマキリの3種が居るが、近隣にはチョウセンカマキリも居ることが、これで分かった。

この卵塊が庭で来年孵化してくれれば、我家の庭にも、4種目のカマキリが現れる事になるのかと思う。些細な来年への楽しみがひとつ出来た気がする。