写真を整理していたら、皆に馴染みのあるであろうこんな常緑の植物の写真を見つけたので、投稿してみる事にする。
撮影年月日は、昨年の11月3日。撮影場所は、自宅から徒歩数分の近所。
名前は、言わずと知れたヤツデ。八手と言うぐらいだから、この掌状は8つに分かれているのかと思いたいが、写真の葉の多くは、厳密には11に分かれているように思える。ネット上の記事でも、偶数の8に分かれることはなく、奇数の9に分かれている事が多いと書かれている紹介を多く目にした。
そして、元々は関東以西の海岸地帯に自生との記事も多く目にした。ここで、疑問が湧いてきたのは、私の暮らす地域は決して海岸沿いではないという事である。かなり内陸の方なのではないだろうか。
そうすると、この八手が、いつ頃、私達の身近に植えられたり溢出していったのかという興味が湧いてきた。江戸時代?明治時代?昭和?
確かに、昭和を育った私には、庭含めヤツデが植栽された光景を、当たり前に目にして育ってきている。
実用面では、ヤツデの葉っぱから滲み出る成分が、蛆虫を殺すという効果を持っているという事が古くから知られており、昔のぼっとん便所の側には植えられていたとの記事も多く読んだ。そこで、ちょっと調べたら、古来より蛆殺しの植物というものが、昔の人々の生活には欠かせないもので、何種類ものの蛆殺しに使われる植物の中のひとつに、このヤツデもあったとの事である。
そして、その役目は、戦後クレゾールなどの薬品にとって変わられたとの事であるが、クレゾール万歳ではなく、ボットン便所の内容物が地中に染み出すことも考えると、クレゾールの環境汚染も重要であり、本来の屎尿成分の一か所集中的な染み出しも問題になるであろう。つくづく文明人のトイレ(下水処理)事情って、決して軽視出来ない分野なんだなって、感じる事になった。
そして、それと同時に、八手の八が末広がりで縁起が良くて、家の庭の鬼門の方角にヤツデを植える習慣があったとの記事にも出くわした。そうなってくると、ヤツデが人為的に植えられ始めたのは、江戸時代ぐらいからかとも考え始めた。
最後に、おそらく、私が写した道路沿いに不意に生えていた写真の個体も、人為的に植えられたヤツデの実を鳥が食べ、糞として種がこの地に放出され、成長したものと思われる。
ただ、どうして、ヤツデがここに生えているのと聞かれた時には、今後、蛆殺しの植物の一面と縁起物の植物の一面と、そうした先人達の暮らしや知恵のエピソードを織り混ぜながら、このヤツデという植物の事を実地で人に紹介して行ければなと思う。
先人達の暮らしに想いを馳せる………日本人としてのDNAがくすぐられる気がして、何故か幸せな気分になって来る。