ちょうど少し前まで、近所の里山のヤマザクラが見頃だったので、この旬の今、ヤマザクラの投稿をしてみようと思う。
ちなみに、近所の里山の山桜に愛着を持ち始めたのは、今年からである事を告白しておく。こちらに越してきてからの7年ぐらいの間、この時期には、マイカー通勤の途中で、この桜が咲き誇っているのは目にしてきていたが、どうせ、そこらへんの学校や公共施設や工業団地に植えられたソメイヨシノを代表にした桜の園芸品種の実生が好き勝手に生えてきているんだろうぐらいに考えていた。
しかし、昨年から近所の身近な動植物を意識的に眺めるようになり、近くの里山を歩いているうちに、ある事実に気が付いた。里山に咲き誇っている桜は、どれも(9割……ほぼ100パーセントと言いたい)が、花期に赤っぽい葉も一緒に出すヤマザクラではないかという事に………。
その事実を我が目で垣間見て確証を得てからは、俄然、近所の里山の桜に古から通づるロマンみたいなものを感じるようになってしまった。一体、いつから生えてるのであろうか?誰かが植えたのであろうか?昔は、もっと沢山生えていたのであろうか?昔の人達もこれらの桜を愛でたのであろうか?等………今まで、あまり気にしていなかった里山の山桜を遠目に眺めながら、昔の人達のライフスタイルや気持ちを、目を閉じて想像・推理する時間が格段に増えた。
ただ、昔の人が植えたにしては、生えてる場所が地面から数メートル高いところの斜面だったりする。元々、古来から生えていたものを残したとすると、まだ近所で、苔に覆われたり主幹が折れたりで、傷んだ山桜の古木に出会っていない。大概、樹高20メートルぐらいで、まだまだ元気な山桜に見える。どれも、年齢的に同じぐらいのヤマザクラに見える。
因みに、幼苗のうちから花を咲かせ直ぐに見応えのある大木に育つソメイヨシノが認知され始めたのが、1900年頃と聞く。この頃に、既にアメリカに関山という里桜の品種と共にに贈られている。そして、戦後の高度経済成長の時期に至る所に植えられ、私達が桜と言えば連想するのがソメイヨシノである。
ただ、現在、周りを見渡した時に、街路樹でも学校でも工場の敷地内でも、毎年人々の目を楽しませてくれるそうしたソメイヨシノだが、桜の管理に知識を持った人達の減少と相まって、適当に剪定され、その傷口から痛み、年齢の割には老木の様相を呈したソメイヨシをよく見かける。昨今の台風の後に、ソメイヨシの徒長した大枝は風に折れないのは感心するが、地上部に偏りが有ると、地上部の重さに耐え切れずに根がちぎれ倒れてしまっているソメイヨシノを見かけるようになった。人口減少化社会の中で、各地で管理に手に余るソメイヨシが増えてくるのではと、私はひっそりと思っている。
話は脱線したが、最近の現代人の地主達や近所の人達が数世代遡っても、知識の中で植えるとしたら、派手に咲き誇り花が直ぐに見れるソメイヨシの筈である。ヤマザクラの苗が花を付けるまでには、結構な時間が掛かるはずである。
そうなって来ると、私が思っている以上に、近所の里山のヤマザクラ達は長生きしてるのかもしれない。そうした過去の歴史を知る手掛かりにもなるヤマザクラ達を大切にしていきたいなと思う今日この頃である。
最後に、近所の里山で写したヤマザクラの写真を載せておく。
花と同時に葉も展開するのがヤマザクラの特徴であるが、ヤマザクラ含むあらゆる落葉広葉樹が、この時期に色取り取りの若葉を展開する中で、薄紅の花と赤みがかった葉色は、里山の景色を俯瞰する時に、無くてはならない重要な一員(景色の一部)の気がする。
同時に、古(いにしえ)の遠い先祖の日本人達が愛でてきた桜も、このヤマザクラである。
残していこう……美しい景色。