カキドオシ

最近、一人で近所の植物探しをした際に見つけていた植物の投稿をする。幅の狭い谷津田の脇にひっそりと生えていた。

同じ場所で写したものをもう一枚。

草丈は30センチぐらい。花色は薄紫で、茎にはそれほど長い毛は見てとれない。生えていた場所は日陰で、その一画にだけ小さく群生していた。

ネット上で調べたところカキドオシというらしい。私は、初めて認識した植物である。ネット上では、道端でよく見られると紹介している記事も多々あったが、私は、よく見かけてきた記憶はない。

続いて、これも近所で見つけたカキドオシと思われる植物の写真を投稿してみる。上の薄紫の花のタイプとは少し形態が違う気がしたが、このタイプもカキドオシとして紹介しているページが結構あった。

もう2枚。

こちらも、生えていたのは日陰。ただ、明らかに、花色が薄紫というよりは白ピンクであり、茎にも長めの毛が密生している感じがする。そして、最初のタイプは茎が立ち上がっていたが、こちらは草丈は低めであった。

もしかすると、最初の状態が変化して、上の白紫の花になる可能性もあるが、花の形も少し違うように見える。

この2パターンのカキドオシと思われる植物は、どちらも私の家から車で10分かからない近場で見つけた。

果たして、どちらもカキドオシなのであろうか?カキドオシという植物を認識出来たので、今後は、カキドオシのシーズンを通しての姿にも着目してみたいと思う。

先ずは、カキドオシが生えてる場所をもっと見つけたい。(そんなに身近に生えてる気はしない。)

クサノオウ

先日の日曜日に、一人で近所の懐は深いが幅は狭い谷津田を散策している時に見つけて、写真に収めていた。

因みに、上の写真で花の上にいる小さな蜘蛛は、ハナグモの雄である。

全体を写した写真をもう一枚。

この時期に黄色い花を咲かせるキンポウゲ科の植物の知識が少しづつ付き始めていた現在だったので、キンポウゲ科の植物の路線で調べていた。

ただ、本日、キンポウゲ科の植物ではなく、ケシ科のクサノオウという植物に辿り着いた。

根本的に有毒成分というか人間の体に良いも悪いも影響を及ぼす成分を持った植物として認識してもらって構わないと思う。21種のアルカロイド成分を含んでいるようで、そのうちのケルドリンという成分は、中枢神経抑制効果が有るみたいで、モルヒネのような効果が有るとのことである。

実際に、野外採取したものを吸って服用した人たちの記事を読むと、ダウナー系にも、アッパー系にも取れる症状を報告していて、かなりはっきりとした人体への変化を描写してくれている。

それらの方々の記事や描写を信じると、安易に摂取するのはやめておいた方が賢明との結論に到る。

さて、昔から薬草としても利用されてきたこのクサノオウの名前の由来を、最後に投稿しておく。

ある方の記事の中で、3説あるとの記事を読んだが、それらを簡単に紹介させて頂く。

✳️草の王………薬草として効果の高さから草の王様として。

✳️瘡の王……染み出す汁が皮膚病に効くことから。

✳️草の黄……葉や茎をちぎった時に染み出して来る乳液が黄色っぽい色をしているから。

ルリタテハ

この蝶は、私の中では身近に見られる蝶としては、美しい部類に入る蝶である。大きさも、決して小さな蝶ではない。中と大の間ぐらいだと感じる。

主に林内で出会い、幾度となく写真を撮ろうと試みるのだが、近付くと絶対逃げる。慎重に慎重に忍び寄ると、案外逃げないで留まってくれる(吸汁や産卵や目的があるからだが)蝶も多いが、このルリタテハは、隙を見せない。

今回の遭遇は、先日の土曜日の近所の谷津田散策の時だった。もう成虫が飛翔しているのかと少しビックリしたが、紛れもなくルリタテハだった。

そして、今回も写真に収めようとチャレンジしてみた。ただ、過去の失敗経験から、ピントが多少合わなくても、段階的にシャッターを押しながら、近付く作戦を敢行してみることにした。そして、やはり、鮮明な写真を撮れる距離まで近づく前に、飛び去られてしまった。すぐに、何枚かシャッターを押した写真の中に使えそうなものがないか探したところ、拡大しても、辛うじてルリタテハと分かる一枚が有ったので、その写真を以下に投稿してみる。

昨年の11月にも元気に飛翔しているルリタテハを目撃したのを覚えているが、その時も、随分、息の長い蝶だと感じた事があった。そろそろ冬に突入しそうな11月に、そして今回は、まだ春が始まったばかりの4月の頭に、成虫を目撃出来る理由は、どうもこの蝶の成虫越冬する習性が起因していると思われる。

さて、このルリタテハと幼虫の食草は、サルトリイバラや他にはユリ科の植物が知られている。成虫は、よく雑木林の樹液を吸いに来ている姿を目撃する。

この蝶を庭で見たいが為に、庭にサルトリイバラを植えちゃおうかなとも、密かに思い巡らせている自分が居る。